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キミだけの「魂のエース」になれる――『54「もう、投げなくていい」からの出発』を読んで。
 タイトルの通り。興味がない方は開かないことを推奨!
 でもなんだろう…長く語る気にもならないから短い文章になってしまった。

 本当に、それほどの内容でした。



↓以下ジョニー信者によるれびゅ!↓
――僕のピッチング辞書に、遊び球という概念は存在しない。



 この言葉を口にすることが許されるのは、この世でただ一人だと僕は思っている。もしかしたら僕が知らないだけで、もっと似合う人がいるかもしれない。だけど僕が知っている限り、この言葉を口にしていいのは彼だけだ。

 黒木知宏。

 千葉ロッテマリーンズの「暗黒期」を支えたピッチャーである。彼が怪我に苦しんでいた2005年にマリーンズは念願の日本一、そしてアジア一の栄冠を獲得するが、それは怪我の苦しみと闘いながらマウンドに立ち続けた彼がいたからこその栄冠であろう。

 『「もう、投げなくていい」からの出発』は引退後、彼自身が執筆した全九章、全54編からなる自叙伝である。この本には野球との出会い、驕り、挫折、悟りを繰り返しながらマリーンズのエースになっていく姿、怪我との闘い、そして引退するその時までをありのままに綴ってある。
 本当はこの本を読んで欲しいところだが、それはなかなか難しいことだろう。よって全54編のタイトルの中から、いくつかを抜粋して紹介したいと思う。尚、このタイトルは実際に黒木本人、もしくは取り巻く人々が口にした言葉である。





01「オレが九年間、54番を温めておいたよ」(現マリーンズ打撃投手・石田雅彦氏)
  …この言葉があったらこそ、黒木は背番号54を背負い続けた。

13「トモ。夜、帰ってくるなよ。昼に帰ってこい」(当時春日井工場人事部長・安藤誠氏)
  …そんな人間になれ、という言葉。今でも黒木は安堂氏を春日井のオヤジと呼ぶ。

24「オレたっちのぉ、ほっこりぃ、千葉ロッテマリーンズ~~」(マリーンズサポーター)
  …歴史的連敗を前にしても「誇り」と称してくれたファンのために、黒木は七夕のマウンドに立った。

25「まだ同点。サヨナラ負けじゃないんだから、立ち上がって投げなきゃいかんよ」(小宮山悟)
  …師匠である小宮山だけが、黒木を悲劇のヒーローとしなかった。

39「マリンで待ってるよ。何年でも待つよ」(マリーンズサポーター)
  …怪我で苦しむ黒木を、ファンの言葉が支えた。

43「クロちゃん、よう頑張ったな」(小宮山悟)
  …その年の優勝に貢献できずとも、小宮山は投げ続けたことを称えた。

47「野球の素晴らしさと怖さというものを、いろんなところで発信していかなきゃいけないと思います」(黒木知宏)
  …七夕の悲劇を含め、辛いことも楽しいことも野球と共にあったからこその言葉。

50「マリンのマウンドが大好きでした」(黒木知宏)
  …引退セレモニーの最後、黒木の本音。

51「もう投げなくていい
  …言葉なき言葉。情なき世界。

54「魂のエース
  …彼だからじゃない、強い気持ちを持ち続けたからこそそう呼ばれた。





 以上、十項目。これ以上に言葉が必要だろうか。
 尊敬し続けた人間が僕と同じ人間で、彼なりに悩み続けていた。それを知れただけで読んだ価値があったと思う。
 少しでも興味を持ったのであれば是非読んで欲しい。そう思える一冊だった。



54 「もう、投げなくていい」からの出発54 「もう、投げなくていい」からの出発
(2008/09)
黒木 知宏

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【2009/05/16 21:05 】 | 野球 | コメント(0) | トラックバック(0) | page top↑
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